
「風景写真なんて大嫌い」だったはずなのに。 ・・・・この写真を撮った1997年の春から少しだけ考えが変わったのかもしれない。
人間(ヒト)が写っていない写真にはまったく意味がない!くらいに思っていた。そうずっと。巧く云えないけど、多分山とか海とかのいわゆる大自然のパノラマには興味がなかったんだろうな。 地方都市にいた学生時代は今のようにネットはおろか入ってくる情報も少なく、知識にも乏しくニュースソースは写真雑誌や美術手帳くらいしか無く、いわゆる"巨匠"と呼ばれる作家くらいしか知らなかったから、当時現存する中では、アンセル・アダムス、奈良原一高、白川義員、入江泰吉、等の一部の写真家を除いて風景写真を見ると反吐が出そうだった。山岳写真やネイチャーフォトとか云われてる分野の絵葉書みたいなキレイな写真には特に。 濱谷ヒロシに代表されるドキュメンタリー性の強い作家や学生時代の師匠でもある植田正治、なぜだか好きだった緑川洋一などには前出の作家と共に非常に共感できるイメージを感じられたが。 その後80年代後半に登場してきた「ニューカラー」の写真も好きになれなかったのはアメリカ西海岸あたりの風景作家が台頭してきたことに腹立たしく感じたのも個人的には大きく作用していると思う。絵葉書みたいな写真やコカコーラみたいな写真には一切興味がない。だったら「いいちこ」の浅井慎平氏(ジャンセンを除いて他のは話は別だが・・)の広告写真こそそれらを一喝するに値する強さを感じる。あの頃きっと風景写真には「メッセージが無い」というマイナス的思考が際立っていたんだろうな。
1980年の夏、大学院の特別講習にゲストでやって来たイタリアの著名な写真家、フランコ・フォンタナ(実は写真集も持っているくらいのファンでもあったが)の講演会で「何の為に人間が写ってない写真ばかり撮るのか?」「所詮印刷になったモノなんて美術的な写真とは呼べない!複製芸術なんて云い方は商業主義にのっとったあなた達の傲慢な物言いだ!」「複製でアートと呼べる価値があるのはアンディ・ウオーホールしかいないじゃないか!」とか無茶苦茶な発言をして世界的なゲストをさんざんに責めたて会場から追い出された若者がいた。芸術、美術、作品などの言葉に過敏だった大学3年生の悩める自分だった。何をどう表現すればよいのかがわからなくなり、それ故に「Half Time」というタイトルの展覧会でいったん終止符を打ち写真よりも現代美術運動やデザイン方面へと傾向していくことになるのだが・・・。
直接人間が写っていない風景なのに人の気配が感じられれば、風景写真も好きだ、それが故意でなければ尚の事。アイルランドの旅では自然の中に人間の営みを感じる瞬間に数多く出逢えた気がする。此処では残念ながらオリジナルの雰囲気が出せないのだが、もっと他の写真もたくさん見てもらえると嬉しいな。21世紀、4年目にして発表したくなってきているみたい。。素直にね。
「普通の人びと」より。 PENTAX 67, 90mm/f2.8, Fuji-400PRO, Kodak SUPRA paper. PORTRUSH / IRELAND, 1997
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